きんぎょのブログ

大阪で働くアラフィフのサラリーマン。いろいろと気になることを書いてます。

自分のルーツを探ってみた その2

三日月藩

実母が送ってきた戸籍謄本をもとに家系図を作成することで、およそ200年前に生まれたと言う祖母の祖父の母親まで5代遡ることができた。

ちなみに直系については生年月日は不明だが4代前にあたる曽祖父の父(高祖父と言うらしい)が親雄という人物であることが戸籍謄本から判明。

果たしてこの先をどうやって探るのか。それが問題なのだが、遡り方を本やネットで調べても戸籍謄本で遡るのはどうやらこの年代あたりが限界のようだ。と言うことで実母の「ご先祖さまは三日月藩の弓の名手らしい」と言う言葉を頼りに追っかけてみることにした。送られてきた古い戸籍には当時の身分が記載されていて士族となっていたので、武士を探るこの線で問題ないだろう。

 

そもそも三日月藩ってどこのどんな藩なのか。

毎度毎度のウィキペディアによると播磨国佐用郡三日月周辺を領した藩で、初代藩主は森長俊。本能寺の変で主君織田信長と討死した森蘭丸の親戚筋にあたる。もしかしたら由緒正しい家系なのかな。

文系にも関わらず日本史を捨て数学で大学に挑んだ歴史嫌いの身のため、戦国時代だけでなく世界史についてはまったく分からず、偉大なる先人たちの話が出るたびにコンプレックスを感じていたのだが、今回この歳になって生まれて初めて自ずからの好奇心で歴史を調べるこの経験、極めて新鮮だ。本当におもしろい。学生時代、もしこう言ったアプローチで日本史に臨んでおれば今の人生、少しは変わってたかもしれない。

いずれにしても三日月藩についてもかなり分かってきた。森長俊に派生して登場する戦国時代の武将たちの逸話なども調べていると本当に魅力的な人物が多い。

今よりもっと義理人情が重んじられていたであろう時代。きっとそんな圧倒的な魅力を持った武将の人柄に惹かれて家臣となった武士たちもたくさんいたのだろうな。

果たして三日月藩の武将たちも人情味あふれる人物だったのだろうか。そしてその者たちに仕えた家臣たちの中に我らがご先祖さまが本当にいたのかどうか。

ご先祖さま探訪もいよいよ佳境に入ってきた。

三日月藩の家臣で我が家と同じ苗字の弓の名手を探ってみる。

 

ネット情報の限界

具体的な方向性が決まったので、PC相手に思いつく単語を片っ端からググってみた。

三日月藩」「家臣」「弓の名手」「○○(我が家の苗字)」「○○親雄(名前の判明した一番古い人)」「丸に橘(我が家の家紋)」・・・

ところがそれっぽいデータがまったく出てこない。さすがに200年前に関する情報はネットの世界にも存在しないのだろうか。

ここまでやったし充分かな?家に届いた古い戸籍を調べただけで自分では何もやってないけど・・・。少なくとも知らなかったご先祖さまを知ることができたし、よくやったよ。なんて少し諦めかけたとき思わぬものがヒット。

兵庫県内各藩の家臣が載った一覧資料(兵庫県立図書館)」

そのページに兵庫県内の各藩の家臣がどのような資料に記載されているかと言うのが一覧でまとめられていた。見ると、三日月藩もあり、家臣が載った資料の名が記載されていた。ご丁寧に家臣一覧が記載されているページの番号まで。

「知りたいことそのもの」を調べるだけではなく、「知りたいことを調べる方法」を調べればよかったのだ。熱くなりすぎて考え方に柔軟性がなくなっていたようだ。少し頭を冷やそう。

いずれにしても道は少し開けた。

家臣が載っていると言うその資料。その名は「三日月町史」。兵庫県立図書館の郷土史の書架にあるということだ。

欲しい情報が手の届くところまで近づいた。早く見てみたい!

よし、兵庫県立図書館に行こう!