自分のルーツを探ってみた その1
およそ100年前の戸籍謄本発見
先日、実家の母親が遺言めいた手紙を送ってきた。いい年になってきたこともあって徐々に終活を始めているようだ。息子からすると「母親の死」と向き合わなければならず中身もなかなか重いものであったが、その手紙の件は一旦脇に置いておいて、今回はそれに同封されていた資料に非常に興味を惹かれた。
その資料とは我が家の戸籍謄本である。
全部でおよそ20通程。
取得日もばらばらで、最近のものには自分自身のものまで入っておりいったい何のために取得したのかまではわからないが、おそらく相続手続きに使ったものだろう。
これをベースに自分のルーツを探れるか。
手書きで読みにくいものが殆んどだが、それでもなんとか読み解いてみた。
金融機関に勤めているおかげで(?)古い字体の漢数字もクリア出来た。そして最も古い取得日のものが判明。取得日が大正14年6月11日。西暦で言うと1925年。なんと今から95年前のものだ。
およそ一世紀も前の「紙」にもかかわらず驚くほど保存状態がよい。
よくもまあこんなものを大事に保管していたものだと感心させられる。
左から2行目に大正十四年六月十一日とある
次は登場人物。
それらの謄本に記載されている生年月日が判明できる最も古いものは、5世代前。祖母の祖父の母親にあたる人物で文化6年4月6日生まれとなっている。
文化6年と言えば1809年。ウィキペディアによるとこの時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は11代目徳川家斉である。この前年に間宮林蔵が樺太を探検し、間宮海峡を発見している。
ちなみに祖母の祖父にあたるその長男は天保5年生まれ。坂本龍馬が天保6年生まれらしいので、もしかしたら神戸の通りですれ違っていたのかもしれないなどとその時代に思いを巡らせてみるとなかなか興味深い。
と言うことでその戸籍謄本の情報をもとに家系図を作ってみた。
横には広がるが縦に伸びない家系図
横軸に各世代を揃えながら出来上がったのが上図のもの。
名前や苗字は伏せてあるが、生年月日や没年月日について分かる範囲で載せている。
横には兄弟の数だけいくらでも広がって行くのだが、縦になかなか伸びない。これが家系図を作る難しさと言うのがよくわかった。
さらにネットで家系図の作り方を調べてみると、現在取得できる最も古い戸籍謄本は明治19年のものらしく、戸籍謄本で調べられる人物の記録は幕末あたりまでと言うのが一般的らしい。
幕末というのはペリーが黒船に乗って来日した1853年くらいのことと定義されているとのことなので、1809年生まれの人物まで遡れたというこの資料は相当貴重なものなのだと思う。
伝承頼りに1809年のその先へ
ふつうならここまででも充分なのだと思うが、牡羊座B型、熱しやすく冷めやすい凝り性気質に火がついた。
ここまではすでにある資料の内容の羅列に過ぎない。ここからは自身の力でどこまで遡れるか?ご先祖さまがどんな人なのか?
たぶん役所に行ってもこれ以上の情報は厳しいと思うので、あとは伝わっている事実を検証しながらチャレンジしてみることにする。
まず実母に情報を求めたところ、
・かつて家系図はあったらしいが保管していた寺の火事で焼失
これだけ。ちょっと心細いがそれでも何か分かるはずだ。
まずは三日月藩の線から探ってみることにする。
→その2に続く😁